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先輩に聞く障害福祉サービス運営#01–社会福祉法人若竹会 権田五雄さん(2)

Interview 「先輩に聞く障害福祉サービス運営」 by かわきせ日記帳 のトップバナー

こんにちは、かわきせ日記帳の木村です。
社会福祉法人若竹会の理事長、権田五雄さんのインタビュー(2)では、権田さんが若い頃に経験した不思議な思い出や若竹会の今後、そして障害福祉の世界をめざしたいと考えるみなさんに向けたアドバイスなどを中心にお送りします。

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社会福祉法人若竹会
滋賀県草津市を中心に「障害を持つ利用者が地域の中で潤いのある生活が送れるよう「働く」と「生活する」ことをめざし、作業所やグループホーム、ヘルパーサービスや就労継続支援B型施設などさまざまな施設を運営しています。また全国でも珍しい支援高等学校卒業後に自立訓練と就労・生活訓練を一貫して学べる「若竹福祉総合学院」を立ち上げるなど、新たな障害福祉施設の形にも意欲的に取り組んでいます。
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■導かれるようにして入った障害福祉の世界と、これからの計画

−− お話を伺っていると、障害福祉と無縁の業界にいらした方だったとはとても思えません。知識などは現場ごとに身につけるというか、現場主義タイプだったんですか。未経験の方でも長い目で育てていこうと思われるのはご自身の学びの歴史もあったのでは。

権田 確かに知識については現場主義でしょうね。でも振り返ると、今の仕事へとたどり着くきっかけになったのは、“あれ”だったのかなと思える出来事はあるんです。40歳になる前ぐらいだったかな。青年会議所でまちづくりや地域づくりの仕事をしていた時に、鈴木ひとみさんという女性に出会いました。昔はタレントをされていましたが、事故で車椅子生活になられたんです。その経緯を追ったドラマ「車椅子の花嫁」が始まった時、主人公のモデルだということで取材に伺ったんです。

−− 「なるほど・ザ・ワールド」でアシスタントをされていた方ですね。そんなことになられていたとは驚きました。

権田 ご自身でも、事故直後のことを「自分は輝く世界から奈落の底に突き落とされた」と表現されていました。でも何かしなければと思い直し、ライフル射撃の特訓をしてオリンピック選手に選ばれたんです。そこでやっと「私はこの人生を歩むために生まれてきた」と思えるようになったと仰っていました。心で、自分は車椅子に乗る人生だったのだ、と受け入れられたんでしょうね。今では、日本航空で機体のバリアフリー面で助言をする専属アドバイザーもされているほどです。
その鈴木さんとお会いして間もない頃、「京都に行きたい」というお話になったので、東京駅に迎えに行きましょうかと申し出たんです。すると「権田さんは私をかわいそうだと思っているでしょう。車椅子だから手伝わなきゃと。でも全然違いますよ。メガネをかけている人に“かわいそう”とは言いませんよね。それと同じで、脚が動かないから車椅子に乗っているだけ。ただ不便なだけで“かわいそう”ではないんです」と仰ったのです。

−−それはガツンときますね。

権田 ええ、すごくショックを受けました。その時は結局、僕が指定した京都のお店に東京から新幹線とタクシーを乗り継いでいらして、食事が終わったら一人でホテルに移動して、そのまま東京に帰られました。その時に「こういうことなのか」と。健常者がする当たり前をできることこそが彼女には大事なんだ、と強く思い知らされました。僕にも「かわいそうだからやってあげないと」という固定観念が無意識であったんだろうな。本当に必要なのは、車椅子の人ならどこをどうすれば自由に行動できるのか考えることだったんだと実感しましたね。それから十数年後に障害福祉と関わることになった時には、まさにあの話だなと思って不思議な気持ちになりました。
自分から仕事に関わっていったのか、仕事に関わらずにはいられなかったのか。何か目に見えないつながりがあったのかな、とかね。

−− 自然と導かれた、という感じでしょうか。

権田 そう、そんな感じ! まさに、やるべくしてやる仕事だったんでしょう。私が理事長を務める社会福祉法人やNPO法人には、今や福祉職員が280人働いてくれています。こども園でお預かりしている子どもは800人。高齢者も障害者も多く支援させていただいています。いろいろな形がありますが、障害のある子どもも150人ほどいます。

−− 歴史をお伺いすると、本当に一歩ずつ大きくされてきたことがわかってきますね。中期計画などを立てられる時は、こういう施設が必要だとご自身の考えを重視されるのか、周囲のニーズを受けて決められるのか。一般的にはどんな形を取られているのでしょう。

権田 「OASIS GARDEN」はいろいろな方のニーズを受けて決めましたが、「若竹福祉総合学院」は僕が始めたくて作りました。実は滋賀県立草津養護学校の役員もしていて、先生の授業参観もするんです。授業は45分しかないから仕方ないですが、先生がある程度つくった物を残り15分で生徒が仕上げるような内容なので、子どもたちからすると、結局させられているだけに過ぎません。この形では卒業しても何者にもなれないなと。

−− なるほど、それは厳しいですね。

権田 養護学校高等部は1組から18組まであって、そのうち3クラスは生徒会もできるような力のある生徒たちですから、学校ではスター扱いです。でも社会に入ると、その子たちですら皿洗いや清掃などしか任せてもらえないのです。僕は、それは単に発揮する場がないだけだと思ったので、文科省に『養護学校に高等部があるのになぜ大学はないのか』とお伺いを立てに行きました。回答は『大学はみんな入りますから』というものでした。普通の高校に入れないから養護学校に高等部をつくったのだから大学もつくってはどうかと提案すると、それはちょっと難しい云々と仰るので、もう許可制でいいので許可をくださいと。うちで大学をつくって卒業時に修了書を出すからとお願いしてやっと話がまとまり、2023年4月に開校できました(注:若竹福祉総合学院は障害福祉サービス施設であり、卒業しても大学卒業の学位は取得できません)。

学院は4年制で、前半の2年で一般教養をやり、後半の2年は一人ひとりの才能が活かせるような専門分野をやっていきます。また3年になると、自立ができるような一人暮らし実習を検討しています。親御さんと離れ、自分の力で生活してもらいます。職員はアドバイスしますが見守るだけ。実際に手は出しません。自分自身で1日の生活をしっかり管理します。それこそが親亡き後のその子の姿になるわけですからね。こうした生活や仕事の訓練を4年で完了させ、卒業後は企業に就職して作業に従事できるような支援をしていきます。もしそういう企業がなければ、株式会社若竹をつくって雇用することもこの先考えています。

−− 卒業後も見据えた計画なのですね。ちなみに、株式会社若竹ではどのような作業を中心にされる予定ですか。

権田 陶器のお茶碗や100円傘あたりかな。つくった物は行政に購入していただくなど、社会の制度を上手に活用しつつ、きちんと仕事ができてつくった物が売れ、自立ができるという会社になる予定です。

−− それはちなみに、どれぐらい先のお話になりそうですか?

権田 5年先ですね。

−− ということは、だいたい5年スパンで、社会の状況も見ながら次に何が必要かと今後の計画を立てておられるわけですね。

権田 そうですね、若竹福祉総合学院も5年前から構想して開校にこぎ着けましたから。

■社会福祉サービスの扉を開こうと考える人は何をすればいいのか

社会福祉サービスの世界は、学べば学ぶほど奥の深い世界だというのがわかってきました。利益追求だけではもちろんいけないし、「かわいそう」という目線では絶対にうまく行かない世界。それぞれの障害を理解しながら、利用者さんにどれだけ無理なく「当たり前の生活」をしてもらえるか工夫し続ける。周囲の共通認識と目的意識、そして継続した努力と工夫が不可欠です。

権田 今では福祉法人の立ち上げにも、全国企業型と地域密着型の2つがあります。企業型は全国どこでも行政の募集が出たら参入するので、地域や地域にいる子たちへの愛着からというよりは「困っている人がいるなら面倒を見ますよ」というスタンスです。障害を持つ人の支援という意味ではどちらも同じ仕事ですが、一歩間違えると薄利多売のマインドになってしまいやすく、「ここで失敗してもまた別の地域に作ればいいや」という無責任な経営者もたまに見かけるので、利用者さんのことを思うとちょっと心配です。
もう一方は、うちのような地域密着型。一人で始めるので、まず自分のマインドをいかにコントロールしていくかが重要です。「かわいそうだから」ではこの仕事は絶対できません。その人々が私たちと同じような生活をするには何をどうすべきか、当たり前のことが当たり前にできるためにはどう動けばいいのか常に考える。そういう所からバリアフリーの施設を建てたいとか、自分なりの形が見えてきます。施設を建てる時は国や県に補助金を申請するのですが、書類作成はすごく大変ですし、本音と建前のうちでほぼ嘘の建前を書く人が多い。でもそういうのは後から絶対バレますからね。

自分の志で始めるなら、最初から法人を目指さなくてもNPOとかから始めればいいんです。小さく始めて、人数が増えてきたら社会福祉法人化を考えるので十分。動いていると自立支援訓練A型かな、B型かな、生活介護かな、と自分の方向性が見えてきます。まずは福祉の世界に自分を置かないことには、その世界にも入ってこられないですからね。

−− 見る、考えるだけの段階と実際に関わった段階では印象や感じることもずいぶん違うでしょうね。だからこそ、最初はまずとにかく小さくやり始めてみるといいと。

権田 そうですね。そして自分自身を鍛えないといけません。障害を持つ人々のそばには、育てるために必死でがんばってきた親御さんがいます。その方たちときちんと話せるくらいに自分を心身ともに鍛えるべきだと思います。小さい世界で始め、ある段階で一気に広げてみるのもいいですしね。

■よい職員とは見つけるものではなく、自ら学んで育つもの

−− 先ほど職員さんも成長されていくとのお話がたくさん出てきましたが、若竹会に入りたいと面接に来られる方も多いのでは。現場で成長される方を見抜く秘訣のような何かがあるのですか。よい人と出会うために見ている部分があるとか。

権田 面接に来られるのは、まず障害福祉施設での経験がある方、営業など対人サービスの経験はあるが福祉は未経験の方、事務などをされてきた完全な未経験の方と、ほぼ3種類に分類できます。その中で印象的なのは、入社時は業界未経験だったとしても若竹会で生き甲斐を見つけられる方がかなり多いことなんです。

−− なんと、そういうものなのですか?

権田 障害のある人との仕事は、彼らの生活の維持管理が仕事の核になります。利用者さんに日常生活をどれだけ楽しくすごしてもらうか考える仕事だけに、今までになかった気づきが毎日に多いのでしょう。健常者なら何でもない行動が、障害のある人には難しいことがよくあるからです。たとえば、ある知的障害者さんの話なのですが、彼は買い物に行く時必ず千円札で支払うんです。コンビニやスーパーでのちょっとした買い物は千円札で事足りると知っているんです。でも、計算の苦手な彼のお財布は小銭でパンパンです。そこで「それなら小銭の使い方を教えよう」と思いつき、教えた後で小銭を使ってくれると成長がよく目に見えるわけです。すると今度は職員自身にもまたやる気が生まれて、彼らの生活をより注意深く観察するようになっていきます。

つまり、こういうことに喜びを見出せる人だからこそ、ここでの仕事が面白くて長続きするわけです。ですから経験者以外は、いい人を面接で探すというより、まずはみんなに福祉の世界に入ってもらって、自分がここで喜びを見出せるか否かを体感してもらうのが早いと思います。そうすれば、向いている人はどんどん仕事を見つけてくれるし、無理だと思った人は自然に辞めていきます。

だから、今ここにいる職員はみんな、本当に毎日楽しんでいますよ。今日は家庭実習の日だから何をやるのかって聞いたら「餃子を100個つくります!」って(笑)。この学院は、いかに一人で生きていくかを実地で学ぶ場ですから、職員自身にも毎日たくさんの発見があるのです。端から見ていても、働いている様子が楽しそうですからね。

この仕事は、毎日が変化の連続だということに気づける人ほど楽しく働き続けられるはずです。でも、この連鎖の仕組みを知っている方は意外と少ないかもしれません。

−− うーん、奥深いですね。

権田 障害福祉の仕事には独特の世界観があるので、戦力という意味でいうと、完全に未経験の方だと、最初のうちは恐らくちょっとした作業しかしてもらえません。でも、それぞれ違いのある障害者に少しずつ支援する中で、どんな障害があってどんな性質があるかを知り、どう自分が関わればいいか自ら気づいていく方、もしくはそこについて考えることに生きがいや楽しみを見つけられる方は、どんな作業や業務にでも興味を持って取り組んでくれます。ですから時間はかかるけれど、未経験でもしっかりと経験を積みながら一人前に成長してくれるんです。

−− 経験者を除けば、未経験の方でも自分でやり甲斐が見つけられる方かどうかだと。それさえあれば、周りの方が育ててあげることで時間をかけて吸収され、よい職員さんへと成長していくわけですね。障害福祉サービス施設って、職員さんの志や考え方、利用者さんのやる気や楽しさを引き出す力にも影響されることに気づかされます。

権田 どちらかというと、僕は職員たちと関わる機会のほうが多いので、彼らの様子や表情をよく見ているわけです。職員の輪はとても大切ですから交流も兼ねて食事会を開くこともあるし、何かあれば対応するからすぐ話してね、といつも言っています。最初の話に繋がるけれど、利用者さんの幸せは職員の幸せであり、職員の幸せは利用者さんの幸せに直結します。職員が塞いでいたらいい笑顔なんてできませんよね。つまり職員の生活が充実していないといけないので、必要であればプライベートの困りごとにも対応したり、お世話をしたりしています。利用者さんに対峙する職員の振る舞いから問題はないか、何かで悩んでないかとサポートするのが仕事です。施設の中でも、いろいろと役割分担があるんです。

−− まさに地域密着型施設のいいところですよね。全国型施設だと、トップの方が職員さんとそこまで密な関係性をつくるのは難しい気がします。

権田 そうでしょうね(笑)。もうすぐ次の施設も建設を始めるんですよ。先日町内会の方に「OASIS HOUSE」の住民説明会の書類を回覧していただきましたが、こちら施設は、ご家族では支援が難しい寝たきりや車椅子の方、生命維持器具が不可欠な重度心身障害の方を中心にした24時間支援のグループホームです。実は僕自身はまだ自信がないと何度もお断りしたんですが、県立びわこ学園も待機者が増えているので、ぜひ民間でも施設を作ってほしいと。そんなに待っている人が多いなら……ということで立ち上げを決め、大津で重度身体障害児向けデイサービスを運営している一般社団法人OASISに運営をお願いすることにしました。

−− 障害の重い方たちが利用されるとなると、運営の方針や関わり方もまた全然違うでしょうね。

権田 そうですね。やっぱり職員にも、利用者さんの障害の特性との相性がありますからね。若竹会は生活介護と就労継続支援B型の利用者さんが多いのですが、OASISで行っているサービスは、ほとんどが重度身体障害の方のための支援です。彼らは、そうした利用者さんたちとの関わりに喜びを見出しているのでしょうね。重身(重度心身障害)さんのグループホームを終の棲家と考えられる方もいらっしゃいます。支援者としてその方が望むその方らしい人生を送ってほしいと願っています。そうした熱い気持ちをお持ちだったOASISさんに運営を依頼しました。施設内は元より、福祉にかける熱い想いを埋もれさせないように私が見出していければいいと思っています。

きちんと運営できている法人同士なら、職員同士で交流して勉強会をしてもいいし、障害種別や重度軽度に関係なく、利用者さんたちもお祭りなどをして交流するのもいいですよね。

−− 障害と一口に言ってもそれぞれに違いがあるように、職員さんも障害の性質に対する向き不向きがあるのは自然なことなのですね。そのマッチングが丁寧にされている施設は安心感も強そうです。

■自分の思いを形にするなら、まず先輩たちに相談を

今では文科省の担当者へ直々に交渉され、行政の側から協力の依頼を受けるほどの社会福祉法人を運営されている権田さん。でも「一人でスタートラインに立っていた」最初の頃は、行政の担当者さんとのさまざまな折衝の機会を経験されてきたのではないか、と考えました。そんな頃はどう行政と関わられていたのでしょう。行政に味方になってもらうよい付き合い方や秘訣などはあるのでしょうか。

権田 うーん、行政はね、まず実績を見るんです。だから、自分が今から何をやろうとしているかを話す上で、先方を前のめりにさせるにはそれなりの実績が必要です。なので、これから取り組もうとするのであれば、現時点で社会に足りない施設や場を考えてみるのもいいと思います。圧倒的にたりないのは障害児向けの放課後等デイサービスです。学童には障害のある子もまとめて入れられているので、健常者の中だとやっぱり浮いてしまいうんですよね。そこで障害児向けの放課後等デイサービスに参入したいと言えば、準備や運営がとても大変なことを行政もよくわかっていますから、取り組みたいという思いや気持ちを汲んで一生懸命対応してくれるんじゃないかと思いますよ。

−− 関わる人の本気度や思いがとにかく重要なわけですもんね。

権田 もし難しそうだと思ったら、法人格が取れなくても最初のうちはNPOでやってもいいし、近いつながりだけでやってみてもいいんじゃないでしょうか。商店街には空き家もたくさんありますから、民家を安く借りて始めるのもいいですよ。
ちなみに、今、草津駅前商店街の脇本陣に就労継続支援B型のパン屋さん(「ベーカリー&カフェ 脇本陣」)があるんですが、そこは障害児学童をしたいと前に相談されてきたNPO法人の元気っずミーオが運営しているんです。OASISと同じく、若竹会とはまた別の障害児学童を運営するNPO法人です。障害児学童を卒業した子たちが働ける施設を作りたいと相談されてきたので、私がBakery&Cafeわかたけで得た製パンと障害者雇用のノウハウを提供しました。

−− 職員さんも適材適所だし、本当にいろいろな法人さんの特性も熟知なさっているのですね。何かをやりたいというNPOさんに的確なご提案やアドバイスをされているところがすごいなと。

権田 そういう考えを持たないと、規模は大きくならないですからね。大きくするのであれば、絶対にコントロールタワーは必要です。ただし、大きくする前には必ず自分自身でも現場や実際の利用者さんへの支援活動をしっかり経験しておかなければダメですよ。その後でなら、生活訓練や就労継続支援、障害児学童に重身と障害福祉サービスも幅広いけれど、どの世界に入るかはスタートラインにいる人が決めればいいと思います。しんどい分野だとしても、一度踏みこんでみれば、そのうち行政からも協力を得られるようになってくるはずです。

−− では最後に、障害福祉サービス事業を始めたいと考える方々に、アドバイスがありましたらお願いします。

権田 まず今やっている人に相談に行くことですね。「自分はこういうことをしてみたい」と一度相談してみると、その人からいろんなアドバイスがあるはずです。アドバイスがもらえると、やりたい形がさらによく見えてくるから、そのやりたい形が見えたら次はすぐ始めてみる。始めから認可を取ったり組織を作ったりしようと意気込むと難しいから、2〜3人集めてとりあえず話し合ってみるといいかもしれないね。私もまだ障害福祉サービスをすべては扱えていないくらい、いろんな形があります。障害のある子は芸術的センスに長けている子も多いからと、その才能を見つける活動をする知人も彦根にはいます。
どんなアプローチだとしても、障害福祉はとにかくやりださないと何も始まらない。いろんなものはその後で勝手についてくるので、まずはやってみることを薦めたいです。改めて言うなら、思いついたらまずは周りに相談してみること、ですね。

−− ありがとうございました。

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インタビュー(2)では、権田さんが権田さんの不思議な思い出や若竹会の今後の計画、そして障害福祉の世界に関わりたいと考えるみなさんに向けたアドバイスなどをお送りしました。次回は、県内でも珍しい障害者向けの4年制専門学校「若竹福祉総合学院」のご紹介と、同校で教務を担当されている寺元典子先生のミニインタビューをお送りします。

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